高祖神社7
高祖(たかす)神社
福岡県糸島市高祖
主祭神 彦火火出見命、玉依姫命、息長足姫命/高磯比売神
怡土郡総社 県社

 高祖神社は神代の創建とされ、糸島平野の東端に聳える高祖山麓に鎮座する。古く、高祖山は怡土(伊都)の神奈備であった。平安期編纂の三代実録に 「元慶元年(877年)、高磯比売神に従五位下を授ける。」と記され、高磯比売神とは高祖神社の祭神、相殿に玉依姫命、息長足姫命を祀るとされ、この「高磯比売神(たかす)」をこの社の本来の祭神とする説がある。
 高祖、高磯が「たかす」とされることで、高磯比売神とは「鷹巣(たかす)の比売神」と思われ、豊前あたりの豊日別神(萬幡豊秋津師姫命、高木神の子神)ということになる。境内社に兄神の思兼神を祀ることも興味深い。(「九州北部域の高木神。」英彦山神宮と鷹の神祇 参照)
 そういえば「イ」地名の連鎖なるものが、ここ伊都に始まり、香春あたりを経て、豊前にまで繋がっていた。

高祖山97
高祖山麓の平野は三雲南小路遺跡や井原鑓溝遺跡、平原遺跡など、弥生王墓が点在する伊都の中枢。






志登3335

志登3340
志登神社
福岡県糸島市志登
主祭神 豊玉姫命
糸島唯一の延喜式内社 志摩郡総社

 古く、社地はかっての古今津湾の岸辺であり、海神の国から帰った山幸彦(彦火火出見尊)を追ってきた豊玉姫が上陸したという伝承が残される。また、社地周辺は弥生前、中期の支石墓が散在する域でもある。

志登3341

今津湾3958
古今津湾の痕跡を残す今津潟。志登神社鎮座地は対岸の奥。古く、伊都国の港湾域であったとされる。また、北岸、元岡遺跡群は弥生土器や祭祀に拘わる遺物などが大量に出土して注目される。




桜井神社1
桜井神社
福岡県糸島市志摩桜井
祭神 神直日神、大直日神、八十枉津日神/與止日女神
黒田藩崇敬社

 楼門に「正一位與止妃大明神」の扁額があり、この社は古く、「與止日女(よどひめ)宮」であった。與止日女は肥前国一宮、川上の「與止日女神社」の祭神。肥前の荒ぶる神、嘉瀬川の川神でもある。
 祭神の神直日神、大直日神、八十枉津日神は穢れを祓う祓戸(はらいど)神。「倭姫命世記」は伊勢の皇太神宮の荒魂、八十枉津日神を別名、「瀬織津比咩神」であるとする。瀬織津比咩神も祓戸神。また川神であり、桜木神、水神、井泉神でもある。ここの社名、桜井の由来が「桜木の株より水出し井泉」であった。ここは與止日女神と祓戸三神、瀬織津比咩神が習合する不思議の宮。(古代妄想、筑紫の瀬織津比咩。参照)
 
 本殿の後方には奥宮の岩戸宮。古墳の横穴式石室とみられる岩屋が祀られるという。そして裏宮のご神体は志摩随一の名所、二見ヶ浦の夫婦岩。 

桜井11
境内の奥、光寿山の麓に伊勢皇大神宮の分霊を祀る「桜井大神宮」が鎮座する。美しい神明造りの社殿が佇む。與止日女神の神託で建立されたという。






草場白木社3988
草場の白木神社

白木神社群
福岡県福岡市西区西浦 白木神社
福岡県福岡市西区草場 白木神社
福岡県糸島市王丸 白木神社
福岡県糸島市潤 潤神社(白木神社)

 糸島には白木神社が多い。西浦、草場そして、王丸。また、潤神社も古くは白木神社であった。各集落の産土神、白木神社はすべて「五十猛神(いそたける)」が祀られる。

 国生み神話において、筑紫の国は白日別(しらひわけ)とされる。そして、五十猛神は白日別神として筑紫の国魂、「筑紫神社」に祀られる。五十猛神は素戔嗚尊の子神で、ともに新羅の曽尸茂梨(そしもり)に天降り、のちに列島に渡ったとされる。白日別の「白」は新羅や斯蘆に由来する。「白」の神とは五十猛神、「白木(しらき)」とは新羅(しらぎ)。(「筑紫の五十猛神。筑紫神社」参照)

草場白木社3989
五十猛神(いそたける)は、今は「紀伊」に在るとされる。紀伊国一宮、「伊太祁曽神社(いたきそ)」がそれである。かの地には古く、「伊都(いと)郡」の地名を残し、民の移動の痕跡とも思わせる。






大祖神社
大祖神社
福岡県糸島郡志摩町芥屋
祭神 天照大神、伊邪那岐命、伊邪那美命、鵜鵜草葺不合尊、豊玉姫命、塩土老翁神など

 この社は名勝、芥屋大門の裏手に鎮座する。芥屋大門は日本最大級の玄武岩洞、玄武岩の柱状節理が海上にそそり立つ。社殿は大門を拝するように配置され、大門を神体とすると思わせる。
 祭神に塩土老翁(しおつちのおじ)の存在がある。芥屋は塩土老翁の里、塩土老翁の降臨伝承を残し、芥屋の集落には氏神、塩土神社が鎮座する。
 塩土老翁は製塩の神、潮流を司る航路案内の神でもある。神話では降臨した瓊瓊杵尊を奉り、山幸彦を海神の宮へ導き、神武天皇に美(よき)国を示して東征を決意させる。
 糸島半島の西の突端、玄界灘に突き出た高さ60mの大門は、渡海の格好の目印となったであろう。江戸期には社地付近に福岡藩の遠見番所も設置されている。大門を航路案内の神、塩土老翁の信仰と重ねたものともみえる。
 
 傍には禊祓に纏わるともされる「ハレドン(祓戸)」地名を残す。伊邪那岐命の禊祓の地、筑紫の日向の橘の小戸(おど)とはこの大門(おおと)とも。また、太祖ではなく「大祖」であることが興味深い。

大祖01151
傍の海岸には海を遥拝するように鳥居が立つ。






宇美12
長野 宇美八幡宮
福岡県糸島市長野
祭神 気比大神(天日矛)、応神天皇、神功皇后、玉依姫など
長野庄鎮守 県社

 縁起では、古く、神功皇后の渡海の船上に新羅の神が現れ、皇后の国土を守護せんと宣託する。皇后は帰朝後、当地にてその祭祀を行う。のち、仁徳天皇の代に平群木菟宿禰の子、博公を神主としてその神蹟に社を建て、気比大神(天日矛)を祀ったとする。
 また、称徳天皇の代に応神天皇、神功皇后、玉依姫の神霊を勧請し、社名を宇美八幡宮としたとも。平安期に糟屋、宇美八幡宮の荘園であったという記録もある。また古く、大社であったとも伝わる。
 江戸期にはこの域は中津藩領であり、怡土郡中津藩領12村の総社とされた。当時は神仏混淆で真言宗長岳山瑞雲院があり、宇佐神宮との関係も指摘される。この宮には複雑な歴史が重なっているようだ。

  社は長嶽山とよばれる丘陵上に鎮座する。丘陵上には14基の古墳が並び、その最も奥に仲哀天皇の陵とされる帆立貝式前方後円墳があり、墳丘上に石祠が祀られている。縁起によると、神功皇后は武内宿禰に命じ、香椎に在った先帝の棺をこの山に収めて、陵墓としたという。宮司の武内氏は武内宿禰より数えて80代目の裔という。

宇美5
後方の丘陵が社地。稜線上に長嶽山古墳群が築かれている。社前の長野宮ノ前支石墓群は総数40基にのぼる弥生初期の大墳墓群。ここは太古より霊地とされた域。

宇美神社6
参道へは川から石段を上がる。古くは川から参拝していたようだ。因みに社前の川は「白木川」。この域はあくまで新羅に纏わる。ここは古く、気比大神(天日矛)の地。そして、筑前国風土記逸文は伊都の県主の祖、「五十迹手(いとて)」とは天日矛の苗裔であるとしている。






細石神社4
細石神社(さざれいし)
福岡県糸島市三雲
祭神 磐長姫命、木之花開耶姫命 

 古く、佐々禮石神社と記される。祭神の磐長姫命と木之花開耶姫命の姉妹は大山祇神の女(むすめ)。ともに瓊瓊杵尊の許に嫁いだ。
 社地は古代、伊都国の中枢。社殿の背後には弥生王墓「三雲南小路遺跡」が位置し、この宮は王墓の拝殿とも、王宮であったともいわれる。その三雲南小路遺跡に関して、在地の考古学者、原田大六は1号甕棺墓は武器類が多く、2号甕棺墓は玉類が多いため、王と王妃の墓であろうとしている。三雲南小路遺跡を瓊瓊杵尊と木之花咲耶姫の墳墓とする説。

 また、古く、高祖神社から細石神社に神輿が向かう神幸があり、その拘わりから前述の「高磯比売神」をこの社とする説もある。この社は東を向き、正対する高祖山麓の高祖神社と向き合って拘わりをみせる。




 

産宮神社9
産宮神社
福岡県糸島市池田
祭神 奈留多姫命、鵜鵜草葺不合尊、玉依姫命

 社伝によれば、奈留多姫は懐妊に当たり、胎教を重んじ玉依姫命、豊玉姫命の前において、「月満ちて生まれん子は、端正なれば永く以て万世産婦の守護神ならん」と誓い、出産に臨んで苦もなく皇子、神渟名河耳命(第二代、綏靖天皇)を安産し、産宮と称えられ安産守護の神として祀られたとされる。記紀では綏靖天皇の母は「媛鞴五十鈴媛命」であり、大和で結ばれ綏靖天皇を産んでいる。はたして奈留多姫命とは誰であろうか。

糸島には当に、不思議の宮が多い。



*神社縁起や地域伝承から古代史の謎を解く。
「古代妄想。油獏の歴史異聞」http://blog.goo.ne.jp/araki-sennen

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